ジョセフ・ヒース、アンドルー・ポター『反逆の神話: カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか』
概要
地位(表示)財の経済学、囚人のジレンマ、ホッブズの社会秩序理論(自然状態と社会契約)、コモンズの悲劇…など、ゲーム理論的な観点に基づいて、(人間を不合理なものとして扱う) フロイト心理学などに由来するフランクフルト学派第一世代、ポストモダン、カウンターカルチャー左派の考えを批判している。
それまでの私の考えは
本来は人々は個人の利益を自由に追求するべきだが、
それを阻害する伝統、権威、慣習や社会規範、道徳?、集団主義、「社会」が存在し、
それらは主に
一貫性のとぼしい、あるいは根拠を欠いた不合理な、
あるいは差別的なもの、
自由を奪うもの、
パターナリズムか、
価値観の押し付けで、
悪である (つまり規範的に個人主義だが、事実認識的に個人主義ではなかった)
のようなものだったので、かなり自分の考えを変えることになった。
いちおうそれまでに『複雑系の世界』や『もっとも美しい数学 ゲーム理論』で囚人のジレンマという概念は聞いたことがあったけど、テクニカルな話としか受け取っていなかったか、しっぺ返し戦略とかで解決できるみたいな話だった (実は、複数人かつ空間要素を導入するとダメになるとかも書いてあった気がするけど) のでそれが社会規範や権威の必要性を示唆するということには思い至っていなかった。
ハンロンの剃刀:無能で説明できることに悪意を措定するな
グライスの剃刀: 会話の含みで説明できるところに意味論を措定するな
ヒースの剃刀:ゲーム理論で説明できるところにイデオロギーを措定するな
Hydraulic model
関連:
「集合行為問題」という概念は、公共選択論系の経済学者のマンサー・オルソンが確立したものらしい (オルソンは集団の理論の研究、定住型盗賊モデルの提唱などしてて面白そう)
Google ngram Viewer
フロイトとマルクスを組み合わせるフランクフルト学派はそんなに珍しいわけではないのか、シュールレアリズムやヴィルヘルム・ライヒもフロイトとマルクスを組み合わせているな
キチゲが溜まる/解放するというのは、ヒース&ポッターがいう圧力鍋モデルのような極めてフロイト的な概念なのではないかと思った
キチゲって溜めすぎるとどうなるものと想定されてる?
抑圧
活動家がいう内面化ってマルクスの虚偽意識みたいな意味な気がする
カウンターカルチャーは「システムに反逆せよ」といった。
真のアナーキズムは20世紀って言ってた気がするけど、マックス・シュティルナーやグスターヴ・ド・モリナリは19世紀じゃないの(シュティルナーはアナーキスト?)
フリーセックス
1948年, 1953年
ゲイ浴場の例でもわからないことは無いが、それは人間の性的嗜好に性差があるのは文化的な抑圧のためで本来女性も男性と似たように開放的な性?フリーセックス?を好むという反論 (当時の人類学を援用したバートランド・ラッセルと同じ論点!※1) を躱せないように思うので、
性的行動を律する規範が男女で違うことの理由の一部は精子と卵子の製造コストの違いなどの進化生物学的な状況に対応するための規範ミームの適応ではないか
まあこういうのは禁欲的な教育の結果だから、ちゃんとした性教育をすればよい、と。まあラッセル先生自身いろいろ女性との情事をもった人なので、「女性というのはそういうもんじゃないだろう」ぐらいの実感あったんだと思う。マリノフスキーとかマーガレットミード先生のをまにうけて、ラッセル先生はそもそも未開の社会ではみんな楽しくセックスしまくってんだから、西欧の女性が性的なものを嫌っているのは文化的な抑圧のせいだと考える。文化的な抑圧がなくなれば、女性も男性と同じようにセックスしたいっていう衝動を認めて、それにしたがって活動するようになるだろうし、女性自身も性的に満足してハッピーになるだろう、と。なんかラッセル先生はけっこうフロイト先生の議論も好きみたいですね。
出会い系サイトの男女比(女性のみ登録無料)とかも一例だな (女性のみ登録無料はもちろん差別ではなく、需要と供給を反映したものだろう)
値段ごとに人数を数えて需要曲線書いて欲しい
『誘惑される意志』には (ヴィクトリア時代などに) 女に貞節が求められたのはすぐセックスさせてもらえない方が(男は)興奮するからって説があった その推論でいくと、総合的には女のほうが嫉妬深いはず。
背徳感に興奮してるという逆の因果関係の可能性もあるか
→によると、ホモフォビアが自分自身同性愛者であるという統計はずさんなものらしい。
ヒースのアイヒマン実験に対する見解は、アッシュの同調実験に当てはめてみるともっともらしくないのではないか(ある実験に関する見解を他の実験に当てはめる必要はないが)
それは行動における権威主義は善とも悪ともなりうるが、認識における同調性は基本的に悪いという話では
ルールはヒースがいうように直接囚人のジレンマを解決するためにあるのかもしれないけど、ピンカー『暴力の人類史』 (ノルベルト・エリアス) がマナーについていうように一般的な自己コントロール力を上げる機能もあるかもしれない 心理的リアクタンス
ナチスをモデルにした実験が流行ったのかな。
「理性の祭典」は、記録によれば、民衆が反宗教劇を酒肴におおいに飲み、熱狂的に歌い踊るカーニヴァルのような連日のお祭り騒ぎであったという4。「理性」への寺院や教会堂の献納、銀器の奉納、聖職者の棄教、「自由の殉教者」に対する崇拝、反キリスト教的な行進や行列など雑多な要素を含んでいたが、すべてにわたって規則の欠如とその誇示とを特徴としていた2。すなわち、偶像破壊と仮装舞踏会を体系化したような内実に伝統的・民俗的な祝祭が融合し、無神論的で無政府主義的な性格を有していたのである4。そこでは、民衆やサンキュロットの活動家たちによる、コントロール不能なエネルギーが横溢していた4。その独自性は、非キリスト教化の直接行動というところにあった2注釈 2。しかし、この運動はのちにロベスピエールの猛反対を受けることとなった24。 不況で消費が減ったので消費社会になるというのはどういう理屈なのか?
新左翼は「政治に影響がないので馬鹿なだけで危険性はない」という説、(> TGGP ) しかし1960年代からアメリカの犯罪率が急増した(by ピンカー『暴力の人類史』)ことを考えると十分「政治に影響力を行使した」「馬鹿なだけでなく危険性もある」のでは。 (ピンカーは若者が多いと暴力をするなども考察してるし、カウンターカルチャーだけのせいではない)
選挙に影響を与えなかったと言っても、司法には影響を与えてしまったってことなのかな?
活動家の行動は合理的に権力などを追求してるとしてもある程度説明できるかもしれないが、素朴心理学のような「素朴政治活動 (フォーク・アクティビズム)」――原始的な狩猟採集民の時代であれば権力を得たであろう振る舞い――をしているとしたほうが説明できることがあるかもしれない It is true that all superficially plausible channels of conventional political activism are more or less what Patri Friedman calls “folk activism,” i.e., porn.
ユダヤ教
包茎手術の広告は強力効果論を証明しているのか??
まずは、仮説(1)「仮性包茎にたいする恥の感覚は、美容整形医によって集客のために捏造された」について検討しよう。結論からいうと、この仮説は否定された。
ふむ?
スパムメール
ソフトウェアから法律まで、spamと戦う全てのアプローチのうち、 ベイジアンフィルタリングは最も効果的なものであると私は思っている。
オンラインゲームの嫌がらせはサーバー運営側に止めるインセンティブありそう
しかしSNSのようなネットワーク外部性が働くと、独占になるのでアレかも
自律、意志の自由
カントやプラトンによれば自律(autonomy)・自由な意志は (自分の) 理性が定めた法が、情欲に勝ったときに達成される、みたいな感じだ。
しかし、フロイト派(上のURLによれば実存主義も?)などの考えではそういった理性が定めた法 (超自我?) も、他の人、社会に押し付けられた、したがって自由ではない面が強いのだとする。
では、その場合の自由は一時の情欲と直感に従うことだろうか、それとも帰結主義的に行動することだろうか?
(公平で、長期的な観点を持って) 道具的合理性に基づいて行動することなら、そんなに悪くない可能性もあるのでは (いや公平かつ長期的な観点があっても道具的合理的な人が増え(て両方とも目的が公平で長期的であるにもかかわらず目的が対立す)ると囚人のジレンマに直面しやすいだろうけど)
市民的不服従
抑圧
マルクスの搾取とフロイト抑圧を組み合わせたのがカウンターカルチャーの抑圧理論だというが、女性は男性に搾取されているから性欲が抑圧されている、フリーセックス万歳、以外での理論の使いかたあるのかな。
マナー、化粧、競争
カウンターカルチャーの現代への影響
The work of the Frankfurt School in particular is influential in contemporary feminist and race theory (see section 5.4).
フランクフルト学派の仕事は現代のフェミニストや人種理論において特に影響が強い。
ピンカー:
「このレポートは2つのドグマによって視野を狭められている。1つは生物学的・遺伝的要因を無視する、心は空白の石版であるという学説」
“The report is blinkered by two dogmas. One is the doctrine of the blank slate” that rejects biological and genetic factors, Pinker wrote, adding that
「そして2つめのドグマは、感情を抑圧するのは悪くて感情を表に出すのは良いという単純化された見方――ロマン主義、フロイトの精神分析、ハリウッドに根を持つ――だ」
The other dogma, Pinker argued, is that repressing emotions is bad and expressing them is good — a folk theory with roots in romanticism, Freudian psychoanalysis, and Hollywood,
フランクフルト学派 1960年代
文化的マルクス主義
反論する上ではゲーム理論や思想史的にやるのはいいんだが、カウンターカルチャーがなぜ生じているかを理解する上では心理学的に分析したほうがいいのではって気がしてきた。『影響力の武器』(途中をつまみ食いした以上に読んでない)
https://www.youtube.com/watch?v=AB8RdZMzaT8